「愛すべきビリヤードプレイヤー」

このコーナーではI氏が見聞きしたビリヤードプレイヤーのエピソード等を不定期で紹介していきます。




第1回 サエギナールの初来日時

 

 最近ではキャロムに詳しくない日本のビリヤードプレイヤーの間でも有名になったセミ・サエギナール。彼が初来日したのは1993年の「スリークッション・ワールドカップ東京大会」のときです。そのときはトルコから来た無名の選手でした。彼は予選から参加した(*)のですが、圧倒的な実力で本選に残ったのでした。実は私ことI氏はスリークッションのレフリーをときどきやっていたりしますが、私のレフリー・デビュー戦はこのときの予選での彼の試合でした。
#試合が終わった後、彼に「この会場、ちょっと寒いねえ」と英語で聞かれてうまく答えられなかった・・・(汗)
 さて話は変わって、本選の初日の朝の出来事です。会場入りした外国人選手は早速、特別会場にセッティングされたばかりのテーブルを念入りにチェックしています(ちなみに外人選手のテーブル・コンディションの要求はすんごいシビアです。試合前に丁寧にブラシをかけて、掃除機をかけても 穴があくぐらいテーブルを見回して「もう1回掃除機かけてくれ」というぐらいですから ^^;;)。このとき、ある外国人選手がラシャの下にゴミか何かがあって、そのためラシャがちょっとだけ盛り上がっている部分を発見しました。試合開始まであと1時間程度なのでラシャを張りなおすことは無理です。
 「このテーブルじゃ試合できないよ」と選手が不満を言いだし、関係者側がどうしようか途方にくれていたとき、「ボクにまかせてよ」といった選手がいました。そう、それがサエギナール選手でした。
 「誰か縫い針を持ってない?」というのでスタッフが手渡したところ、彼は「前にもこういうこと、やったことあるんだよ」とのこと。サエギナールはラシャに針を刺してそのごみを少しずつラシャの下で動かしました。それを何度か繰り返して・・・とうとうそのゴミをクッションの下まで移動させたのでした。これならプレイに差し支えないです。このときはちょっとした拍手が関係者から起こりました。彼のおかげで無事に試合が始められるのですから。
 当時無名のサエギナールは実際の試合でも、3重回しやら強引すぎる裏回しやらマッセやらを繰り出して勝ち進んでいきました・・・結局、準々決勝でブロムダールにフルセットで敗れ5位タイに終わったのですが、彼の登場に日本の関係者はみな、驚いたはずです。

 このときのプレイと比較すると、最近のサエギナールのプレイはやはり"洗練"されたような気がします。もちろん、時には試合中でさえ曲球チックなショットも見せてくれますが。正直、10年前無名だった選手がここまでスリークッション界のトップに君臨するとは思ってもいませんでした。

(*)「スリークッション・ワールドカップ」の試合は16人のシード選手と予選で勝ち残った8名〜16名の選手の、合計24〜32人のシングル・イルミネーションで行われるのが普通。





サエギナール初来日時のお宝映像(^^;;)のワン・シーン。
ちなみに対戦相手(右側)はR.ビタリス(仏)です。
サエギナール後方の青いベストを着たスコアラーはひょっとして。。。






こちらは「2002年スリークッション・ジャパンカップ」の
決勝戦でのサエギナール。
対戦相手は日本の島田暁夫選手でした。